きっかけは、 ギャラクシーキリンさんの「Substackをどう伸ばす?【無料】勝ち筋診断」という記事でした。
Substackの勝ち筋を診断してもらえるらしい。
面白そうなので、お願いしてみました。
返ってきた診断書の冒頭には、こう並んでいました。
「叡」「8」「森羅」「7」。
……何のことでしょう😅
少なくとも、私には事前知識がありません。
ところが、読み進めてみると、急に見慣れた言葉が増えてきました。
Substack。研究。読者の反応。会計のレンズ。Kindle。
いま自分がやっていることや、これからやろうとしていることが、別の言葉で整理されていました。
私の診断結果は、こんな内容でした
診断書では、私は「叡・8・森羅・7」と判定されていました。
詳しい説明をかなり乱暴にまとめると、
・知識を集め、そこから意味や構造を見つけて言葉にする
・言葉にしづらい違和感を整理する
・知識量で圧倒するより、読後に景色が変わるような発信をする
そんな強みがある、という内容でした。
そして、私がより気になったのは、その先です。
90日でやることとして、
・「会計のレンズ」で何を見る人なのかを3本柱まで絞る
・こうなりたいと思える書き手、研究者、ニュースレター運営者を1人決めて継続して学ぶ
・Substackを実践場所として、読者の反応や読まれるテーマをケースデータとして蓄積する
というロードマップまで書かれていました。
かなり具体的です。
「認めてもらったような気がした」
診断書を読んだとき、一番近かった感覚は、
「今やっていること、やろうとしていることを、認めてもらったような気がする」
でした。
書かれていた方向の多くは、診断を受ける前から、自分なりに考えていたものです。
読者が私の記事をどう受け取ったかを残すこと。
反対に、私が誰かの記事を読んだとき、自分の中から何が出てきたのかも記録すること。
そんな仕組みを、最近少しずつ整えていました。
だから、診断を受けて方向転換したわけではありません。
もともと進もうとしていた道を、別の角度から見せてもらった。
そのことで、輪郭が少し濃くなったように感じたのだと思います。
一方で、今までの自分にはなかった視点もありました。
「こうなりたい」と思える人を1人決めて、継続して学ぶこと。
これは試してみたいと思いました。
ただ、あとから少し不思議にもなりました。
誰かに直接、同じことを言われていたら、私はこんなに素直に受け取れただろうか。
アルマくんと話していたら、別の問いが出てきた
そのことを、アルマくんにも話してみました。
※ここからの会話は、実際のやり取りを読みやすいように要約しています。
「アルマくん。誰かに直接同じことを言われたら、たぶん疑うと思うんですよね」
アルマくん:「自覚はあるんですね」
「あります😅」
アルマくん:「では、今回はなぜ受け取れたんでしょう」
「診断というワンクッションがあったからですかね」
アルマくん:「気を遣っているかどうかを考えなくていい?」
「そう。『言われた通りにするか』より、『自分はここから何を持ち帰るか』を考えやすかった気がします」
「結局、大事なのは、自分で選べることなのかもしれません」
アルマくん:「誰かの助言を聞いて選んでも、最後に決めたのはあるとさんでは?」
「そうなんですけど、そこが曖昧になることってあると思うんです」
アルマくん:「失敗したら、人のせいにできる?」
「そう。それだと、せっかく失敗しても学びまで薄くなりそうなんです」
自分で選んだ感覚は、結果から学ぶために必要なのかもしれない
ここで気になったのは、助言の内容そのものより、その助言を「自分で選んだ」と感じられるかどうかでした。
誰かの助言を聞くこと自体が問題なのではありません。
助言を聞くと決めたのも、自分です。
ただ、その感覚が薄いままだと、うまくいかなかったときに「あの人のアドバイスが間違っていた」で終わらせやすい。
そうすると、起きたことを自分の経験として振り返る機会まで薄くなる気がします。
自分で選んだと思えていれば、結果も自分の経験として受け取りやすい。
うまくいっても、いかなくても、そこから次に持っていくものを探せる。
診断結果について話していたはずが、気づけば、自分がなぜ「自分で選ぶこと」を大事にしているのかまで考えていました。
これは今回の診断から、思いがけず拾ったもう一つの発見でした。
言葉には、受け取りやすい距離があるのかもしれない
そして、ここでもう一つ気づきました。
「自分で選んだ」と感じやすいかどうかは、言葉との距離にも関係しているのかもしれません。
考えてみれば、私はゲームや漫画、映画のセリフから、大事なことを学んだと思う経験が何度もあります。
それらの言葉は、私に向けて言われたものではありません。
「あなたはこう生きなさい」と直接言われたわけでもない。
だからこそ、自分で勝手に拾って、自分の人生に持ち帰れた部分もあるのかもしれません。
そう考えると、言葉は内容だけでなく、どんな距離から渡されるかでも受け取り方が変わることがあるのでしょう。
私は発信でも、結論を強く押しつけるより、見方を一つ置いておきたいと思っています。
拾うかどうかは、読んだ人が決めればいい。
その理由の一つが、今回少し見えた気がしました。
今回は、私がレンズを拾う側だった
ここまで考えて、ふと気づきました。
普段の私は、誰かの前に見方を一つ置く側にいるつもりでした。
でも今回は、逆だったのかもしれません。
診断書という形で、私の前に一枚のレンズが置かれていた。
私はそれを少し覗いてみて、全部ではなく、自分が持ち帰りたいものを選んだ。
そして、これは最近Substackでみなさんの記事を読んでいるときにも、少し似ています。
誰かが見せてくれた景色を覗いてみる。
そこで自分が何に引っかかったのか。
何を思い出したのか。
どんな考えが自分の中から出てきたのか。
それをコメントや引用リスタックに残す。
他人の記事を材料にする、ということではありません。
他人の記事に触れたことで、自分の中から何が出てきたのかを記録する。
それも、私にとっては一つの研究なのかもしれません。
みなさんにも、誰かに直接言われたわけではないのに、自分で拾って今も持っている言葉はあるでしょうか。
もし思い当たるものがあれば、コメントで教えてください。





私もギャラクシーキリンさんにSubstack 診断やってもらいました。
どういう方向性を意識したからいいか、めちゃくちゃ解像度上がりました⤴️
記事にまでしていただいてありがとうございます!
占いをする際、最終決定権は占い師側ではなく自身にある、ということは日ごろからのスタンスにしており、それが伝わって安心です。
どうしても操られてるとか、説教されたみたいな印象を持たれがちな業種なので,好意的に受け取っていただけたこと、嬉しく思います。