筒の中の吸い殻から考えた「顔向けできるか」という感覚
ご先祖様、神様、そしてYAZAWA。人は誰も見ていない時でも、自分の中の観察者の表情を気にしながら生きているのかもしれない。
少しだけ隠したかったのだろうか
先日、道端で少し不思議なものを見かけました。
子供の通学路の脇にある、のぼり旗を立てるための筒の中に、タバコの吸い殻が捨てられていたのです。
吸い殻のポイ捨て自体は珍しくありません。(それはそれでどうかとは思いますが。)
でも今回は少し気になりました。
なぜなら、地面に捨てるのではなく、わざわざ筒の中に入れてあったからです。
もちろん、本当の理由は分かりません。
たまたま入っただけかもしれません。
ただ、ふと思ったのです。
少しだけ隠したかったのだろうか、と。
もしそうだとしたら、なぜ隠したかったのでしょう。
誰も見ていなかったかもしれません。
それでも、どこか後ろめたさのようなものがあったのかもしれません。
そんなことを考えているうちに、ある言葉を思い出しました。
「ご先祖様が見ているよ」
子どもの頃、一度は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
誰かが見ている
実際にご先祖様が見ているかどうかは分かりません。
それでも、不思議と行動に影響します。
似た言葉に、
「お天道様が見ている」
というものもあります。
誰も見ていないと思っていても、どこかで見られている。
そんな感覚が、日本人の中にはあるのかもしれません。
そう考えているうちに、幼稚園の頃の記憶がよみがえりました。
私はカトリック系の幼稚園に通っていました。
そこで聞いた話の中で、なぜか今でも覚えている言葉があります。
「神様はあなたの中にいる」
というものです。
当時は意味をよく理解していたわけではありません。
ただ、
「悪いことをしても、あなたと神様には分かる」
というような話だった気がします。
その時ふと思ったのです。
これ、ご先祖様の話と少し似ていないだろうか、と。
文化も宗教も違います。
日本のご先祖様と、キリスト教の神様。
本来なら全く別の存在です。
それなのに、どちらも
「誰も見ていなくても、あなたを見ている存在がいる」
という話になっている。
和と洋。
全く違う文化の中で育った言葉なのに、似たような考え方があるのは少し面白いことだと思いました。
心の防犯カメラ
そう考えた時、私は勝手に
心の防犯カメラ
という言葉を思い浮かべました。
ご先祖様が見ている。
神様はあなたの中にいる。
どちらも、
「そんなことをしていいのか」
と問いかけてくる存在です。
実際に見られているかどうかは分かりません。
それでも行動が変わる。
それは外からの監視ではなく、自分の中にある視線だからなのかもしれません。
そう考えると、のぼり旗の筒の中の吸い殻も少し違って見えてきます。
もし本当に隠そうとしていたのだとしたら、その人は誰をごまかそうとしていたのでしょう。
周りの人でしょうか。
それとも、自分の中の心の防犯カメラでしょうか。
そう考えると、妙にしっくりきました。
吸い殻のことも、ご先祖様のことも、神様のことも、ひとつの考え方で説明できそうな気がしたのです。
「心の防犯カメラ」
なかなか悪くない考え方だと思いました。
それだけでは説明できない
ところがです。
納得したはずなのに、しばらくすると別の疑問が浮かんできました。
防犯カメラは、悪いことを防ぐためのものです。
でも人は、悪いことを避けるためだけに生きているわけではありません。
誰かに言われたわけでもないのに頑張ることがあります。
誰も見ていないのに手を抜かないことがあります。
損得では説明できないこだわりを持つこともあります。
そういう時、私たちは何を見ているのでしょう。
そこで思い出したのが、矢沢永吉さんの有名な言葉でした。
「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな」
初めて聞いた時は、ずいぶん大きな自分を持っている人だなと思いました。
でも今になって思うのです。
あれもまた、自分の中にいる存在の話だったのではないかと。
観察者の表情
本物の矢沢永吉さんがどう思うかではありません。
自分の中にいるYAZAWAがどう思うか。
そこが大事なのだと思います。
そして、そこでようやく気づきました。
私が考えていたのは、防犯カメラではなかったのかもしれません。
防犯カメラは記録するだけです。
でも、ご先祖様も、神様も、YAZAWAも違います。
喜んだり、
呆れたり、
誇らしそうにしたり、
残念そうにしたりする。
つまり、そこにいるのは防犯カメラではありません。
観察者です。
しかも、その観察者には表情があります。
顔向けできるか
そう考えると、
「顔向けできる」
「顔向けできない」
という言葉も面白く感じます。
どちらも、自分の中にいる観察者の存在を前提にした言葉のように思えるからです。
私たちは、その観察者の表情を気にしながら生きているのかもしれません。
もし今の行動を見たら、どんな表情をするだろう。
笑うだろうか。
誇らしく思うだろうか。
それとも、少し残念そうな顔をするだろうか。
もしそうだとしたら、私たちは誰も見ていない時でさえ、一人ではないのかもしれません。
自分の中にいる観察者と、一緒に生きているのですから。
のぼり旗の筒の中の吸い殻を見て、そんなことを考えました。
人は誰しも、自分の中に観察者を住まわせているのかもしれません。
そして時々、その観察者の表情を気にしながら生きているのかもしれません。
さて、今の私の観察者の顔はどうでしょう。
少なくともこの記事を書いていることについては、少しだけ嬉しそうな顔をしてくれている気がします。
あとがき
最近、Substackで日常の何気ない出来事から考えを広げていく記事を読む機会が増えました。
そのたびに、「自分もこんなふうに考えてみたい」と思っていました。
そんな時に見つけたのが、のぼり旗の筒の中の吸い殻です。
以前の私なら、「マナーが悪いな」で終わっていたと思います。
でも今回は違いました。
いろいろ考えているうちに、
ご先祖様や神様やYAZAWAまで登場してしまいました。
どうやら私の頭の中にも、思っていたよりたくさんの観察者が住んでいるようです。
しかも彼らはなかなかおしゃべりらしく、吸い殻ひとつでも勝手に会議を始めてしまいます。
ただ、この記事を書きながら、別のことも気になり始めました。
人はどんな観察者を育てるのでしょうか。
そして、その観察者は人生にどんな影響を与えるのでしょうか。
その話は、また別の機会に書いてみたいと思います。
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吸い殻ひとつから、ご先祖様、神様、そしてYAZAWAまでつながっていくとはw「心の防犯カメラ」から、表情を持つ「観察者」へ変わっていくところもとてもおもしろかったです。誰も見ていないときに、手を抜くか、踏ん張るか。私も自分の中にいる私を見ながら決めているのかもしれません。