孤高になるという、少しズルい勝ち方
自分を出すのは怖い。それでも発信する価値はあるのでしょうか。
Substackで発信を始めようとしていて、最近ひとつ考えていることがあります。
発信で本当に大事なのは、「何を書くか」よりも、「誰が書くか」なのではないかということです。
もちろん、役立つ情報は大切です。
でも、同じ情報なら他にも発信している人はたくさんいます。
それも、とても敵わないと思えるほど、分かりやすく適切な内容ばかりです。
AIが文章を書ける時代になった今、その傾向はますます強くなっていると感じます。
そんな中で、なぜ私たちは発信するのでしょうか。
それは、自分がどんな人間なのかを知ってもらいたいから、ではないでしょうか。
そんなことを考えていた時、ふと学生時代のことを思い出しました。
当時、周囲から少し浮いていた私に、担任の先生がこんな話をしてくれました。
「突き抜けろ。孤高になれ。」
もうかなり昔の話なので細かい言葉までは覚えていません。
ただ、内容はだいたいこんなものだったと思います。
例えば、いつも1位の人と、いつも2位の人がいるとする。
2位の人は、なぜ自分が1位になれないのか分からない。
でも1位の人は、2位の人がなぜ自分を抜けないかを知っている。
だから同じ結果が繰り返される。
1位の人は、その違いを周りに理解してもらえず孤独かもしれない。
けれど同時に、その違いによって周りに認められてもいる。
ただ周りと違うだけなら孤立で終わる。
しかし突き抜ければ、周りに認められ孤高になる。
その過程は痛みを伴うものかもしれない。
痛みを感じる方向に進むのは怖いかもしれない。
それでも、いや、だからこそ、その先には価値があるんじゃないだろうか。
だから。
「突き抜けろ。孤高になれ。」
そんな話でした。
当時の私は意外に感じました。
周りに合わせろと言われると思っていたからです。
でも先生は、違いを消す方向ではなく、むしろ伸ばす方向を示しました。
だから今でも覚えているのだと思います。
もちろん、この話は単純に「1位を目指せ」という意味ではありません。
私が今思うのは、人が認められるためには「違い」が必要だということです。
他の人と全く同じなら、「あなたでなくてもよい」ことになってしまいますよね。
かといって、無理に違いを作るのも違う気がします。
人はもともと違うからです。
それなのに、なぜ私たちは認められないと感じるのでしょうか。
私は、自分で思っているほど「違いが伝わっていない」ことが多いからではないかと思っています。
自分では当たり前だと思っている考え方。
自分では気づいていない経験。
自分にとって自然すぎて価値を感じていない視点。
そうしたものは、案外、自分の外に出せていないものです。
だから伝わらない。
伝わらないから認められない。
そこにギャップがあるのだと思います。
そして、ここで発信の話につながります。
このように考えると、発信とは、自分の違いを伝える行為なのかもしれません。
情報だけなら、もともと自分の外にあったものなので、間違いがあっても訂正したらよいし、自分を否定されたように感じることは少ないかもしれません。
でも、自分自身を出す発信は違います。
考え方を否定されるかもしれない。
意図しない解釈をされるかもしれない。
誰にも共感されないかもしれない。
だから怖い。
もしかすると、人は「違うこと」を恐れているのではなく、「違いを見せた結果、受け入れてもらえないこと」を恐れているのかもしれません。
それでも、自分を出すことには価値があると思っています。
なぜなら、自分を出さなければ、本当の意味で理解されることもないからです。
賛同してくれる人と出会うことも。
自分の世界を広げてくれる言葉と出会うことも。
難しくなります。
だから私は、発信することと「孤高になること」は少し似ているように感じています。
誰かと違うことを見せる。
その痛みを引き受ける。
その結果として、自分だからこそ届けられる価値を作っていく。
あなたを一番理解しているのは、あなたです。
だからこそ、「あなたらしさランキング」で圧倒的1位を取り続けることはできます。
これはある意味、とてもズルい勝負です。
他人には真似できません。
私がSubstackでやってみたいのも、そんな発信です。
情報だけではなく、自分自身の経験や考え方、違和感、試行錯誤等も含めて発信してみること。
その結果、読んでくださった方に小さな気づきや新しい視点が生まれたら、これ以上うれしいことはありません。
そして私自身も、あなたが発信する「あなたらしさランキング1位」の言葉に出会いたいと思っています。
さて。
あなたが今、人に見せていない「あなたらしさ」は何でしょうか。
もしそれを発信するとしたら、何を書くでしょうか。




何も難しく考えずに、まずは自分自身を「納得」させるように書けばエエと思うんですよね。
そうしたら、同じような考え方してる人には自然に共感してもらえますしね(°▽°)