ニュースを見ていたはずなのに、見えていたのは自分だった
街頭インタビューで感じた違和感から、自分の「見え方」を考えることになりました。世界を見るレンズは一つではないのかもしれない。そんな一つの見方を綴った記事です。
ゴールデンウィークが明けると、毎年のように街頭インタビューが流れます。
駅前やオフィス街で、マイクを向けられた人が答える。
「仕事に行きたくありません。」
それを見ながら、私はいつも少し笑ってしまいます。
分かる、と思うからです。
たぶん、そう感じる人は多いのだと思います。
連休明けの朝には、どこか世の中全体が少し重たくなっているような空気がある。
テレビも、その空気をそのまま映しているように見えます。
今年も、そういう流れなのだろう。
私も自然に、そうして画面を見ていました。
すると、その後に別の人の声が流れました。
「しっかり休めたので明日からまた頑張れそうです。」
ふとその一言に、少しだけ引っかかりました。
前向きな声も流すんだ。
そう思いました。
もちろん、それ自体は何もおかしなことではありません。
連休明けに仕事へ行きたくない人もいれば、しっかり休めたから頑張れそうだと思う人もいる。
考えてみれば、どちらも自然です。
それなのに、私は少し驚いていました。
見る前から「今年も仕事へ行きたくない人たちの話だろう」と、私の中では、もう物語が始まっていました。
なぜ私はそう受け取る準備をしていたのだろう。
その問いが、頭から離れませんでした。
同じ出来事でも、どこを見るかで物語は変わる
街頭インタビューも、野球中継も、少し似ているのかもしれません。
ホームランが出た瞬間、カメラが打った打者を映すのか、打たれた投手を映すのかで、私たちが受け取る物語は少し変わります。
打者を見れば、努力が報われた一打に見えるかもしれない。
投手を見れば、たった一球で流れが変わった場面に見えるかもしれない。
同じホームランでも、どこを見るかで立ち上がる物語は違う。
街頭インタビューで感じた違和感も、同じところにあったのかもしれません。
だからといって、演出そのものが悪いと言いたいわけではありません。
番組をつくる以上、何を映すかを選ぶことは避けられません。
その結果、私たちは出来事のすべてではなく、その切り取りから生まれた一つの物語を受け取っています。
そんなことは、以前から分かっていたつもりでした。
それでも、街頭インタビューで感じた違和感だけは残っていました。
ニュースを見ていたはずなのに、どうして私は、あんなふうに受け取ったのだろう。
そのことを考えているうちに、一つの言葉が浮かびました。
レンズ。
人は世界をそのまま見ているつもりでも、それぞれ違うレンズを通して見ているのかもしれない。
ゴールデンウィーク明けのニュースを見たとき、私はたぶん、過去に見てきたニュースの記憶を通して見ていました。
「連休明けの街頭インタビューは、仕事に行きたくない人の声が流れるもの」
そんな見え方が、自分の中にできていた。
だから「頑張れそうです」という声に、「前向きな声も流すんだ」と思ったのでしょう。
そのレンズは、自分で「このレンズを掛けよう」と決めて掛けたものとは限りません。
家族、友人、これまでの経験、読んできた本、見てきたメディア。
そして今なら、日々対話しているAIも、その一つかもしれません。
そうしたものに触れるうちに、いつの間にか世界の見え方が形づくられていく。
そう考えていると、もう一つ気づいたことがありました。
レンズは、今この瞬間だけのものではありません。
今日見たものが、明日のレンズになる。
過去に見たニュースが、今のニュースの見え方をつくる。
今見ているものが、次に世界を見るときの前提になる。
一度見たものは、ただ通り過ぎていくわけではありません。
少しずつ残り、次の見え方を形づくっていく。
だから、何に触れるかは、ただ知識を増やす話ではない。
未来の自分が、どんなレンズで世界を見るのか。
その一部を、今日の自分が育てているのだと思います。
相手には、違う景色が見えているかもしれない
レンズという見方をしてから、人と話すときにも少し立ち止まるようになりました。
自分とは違う意見を聞いたとき、以前なら、その結論だけを見ていたかもしれません。
なぜそんなふうに考えるのだろう、と。
もちろん、今でもそう思うことはあります。
でも少しだけ、その手前を考えるようになりました。
この人には、どんな景色が見えているのだろう。
同じ出来事を見ているつもりでも、相手には違う景色が見えているのかもしれません。
育ってきた環境も、経験してきたことも、普段触れている情報も違う。
見えている景色が違えば、結論が違うことも不思議ではありません。
そう考えていると、もう一つ見えてきたことがありました。
私は、相手のレンズを考えているつもりでした。
でも、見えてきたのは自分のレンズでした。
私もまた、自分では気づきにくいレンズを通して世界を見ている。
相手を見ているつもりで、過去の誰かを重ねているかもしれない。
意見を聞いているつもりで、最初から「この人はこういう人だ」と決めているかもしれない。
相手のレンズを想像することは、結局、自分のレンズを見つめ直すことでもあるのだと思います。
レンズは、試すことができる
ここまで考えると、自分のレンズを外して、何にも偏らない目で世界を見なければならないように感じるかもしれません。
でも、私はそれは難しいと思っています。
そもそも、レンズのない見方があるのかも分かりません。
だから、正しいレンズを探すよりも、別のレンズを試してみる。
そのくらいが、ちょうどいいのではないかと思います。
私がこの記事で紹介している「レンズ」という考え方も、その一つにすぎません。
この見方を使うと、街頭インタビューで感じた違和感を、ニュースではなく自分の受け取り方へ戻して考えることができた。
ただ、それだけです。
合わなければ、外してもいい。
別の場面で、もう一度試してもいい。
少し形を変えて、自分なりに使ってもいい。
レンズを試す目的は、無理に見え方を変えることではありません。
未来の行動や選択肢を、少し広げることだと思います。
見え方が変わると、選べる行動が変わることがあります。
意見が合わない人を、すぐに否定せず、少しだけ話を聞いてみる。
一つのニュースを見たあとで、別の立場から見るとどう見えるかを考えてみる。
いつも同じ情報ばかり見ていると気づいたら、少し違う本を手に取ってみる。
大きな変化ではありません。
それでも、新しい行動は、新しい見方がなければ生まれないのだと思います。
私は、正しい答えを渡したいわけではありません。
ただ、世界には今までとは違う見え方もある。
その一つを、あなたに手渡したい。
その先は、あなた自身が選び、試し、育てていけると信じています。
次に世界を見るとき
次にニュースを見るとき。
スポーツ中継で、カメラが誰かの表情を映したとき。
誰かと話していて、どうしても意見が合わないと感じたとき。
もし少し余裕があれば、こう考えてみてもいいかもしれません。
他のレンズで見たら、どう見えるだろう。
そのとき、何が見えるのだろう。
何が見えなくなるのだろう。
今、自分はどんなレンズで世界を見ているのだろう。
そう問い続けたいと思っています。
もし、あなたにも何か違う景色が見えたなら、よければコメントで教えてください。
その景色もまた、私が明日、世界を見るときのレンズになるかもしれません。
ここは、世界を少し違う角度から眺めるための、小さな実験室です。
また一緒に、一つ新しいレンズを試せたら嬉しいです。




あるとさん、おはようございます!
僕と妻のレンズは、まったく違うものだと真っ先に思いました(笑)
だからこそ、面白かったりしますよね。
あるとさん、おはようございます😃
違和感にハッとして、自分のレンズがなんであるか分かる時ありますね✨