私は、時間がなくなることにかなり敏感です。
公認会計士としての本業がある。
家事も育児もある。
発信もしたい。
音楽もやりたい。
ゲームもしたい。
世界遺産のことも知りたい。
やりたいことは、たぶん多い方です。
でも、時間だけは増やせません。
それなら、できるだけ無駄をなくして、最短距離で生きたいのか。
……というと、どうもそうでもありません😅
ゲームにも時間を使います。
世界遺産のことを、寄り道しながら調べるのも好きです。
遠回りそのものが嫌いなら、たぶん私はもっと効率よく生きているはずです。
では、私が本当に気にしているのは何なのだろう。
短さより、「自分で選んでいること」
私は、時間は命そのものに近いと思っています。
使った時間は戻ってきません。
あとから増やすこともできません。
だから大切なのは、何でも短く終えることではなく、その時間を自分で選んでいることなのかもしれません。
みんなと同じ道でもいい。
専門家が勧める方法でもいい。
誰かの成功例を参考にしてもいい。
問題は、誰の方法かではなく、自分がなぜそれを選ぶのかを考えられているか。
そう考えたとき、長かった会計士試験の受験生活を思い出しました。
10回落ちて気づいた、「正解探し」の罠
私は、自分の外に「正しい勉強法」があるのではないかと探していた時期があります。
誰かが合格した方法を知っては試し、うまくいかなければ、また別の方法を探す。
私は、会計士試験に10回落ちました。
結果が出ない時間が長くなると、勉強法だけでは済まなくなります。
「また合格できなかった。」
そこから、いつの間にか、
「自分はダメなのではないか。」
と、自分そのものまで判定するようになっていました。
今の私が、当時の自分に一つだけ問いかけるなら、たぶんこう言います。
その努力、何を改善するためにやっているの?
誰かの方法が正しいかどうかより、自分は何を変えたいのか。
そのために、なぜ今これを選ぶのか。
自分で選ぶとは、正しい選択を一発で当てることではありません。
選んでみる。
違うと思ったら、考え直す。
そして、選び直す。
そこまで含めて、自分で選ぶということなのだと思います。
私にとって自由なのは、間違えないことではなく、選び直せることなのかもしれません。
だから、遠回りそのものを悪いものだとは思いません。
遠回りしたから見えるものもあります。
私が今こういうことを考えているのも、長い遠回りがあったからかもしれません。
本人が遠回りを選びたいなら、それも一つの選択です。
避けられたらいいと思うのは、本当は別の道もあったのに、それに気づかないまま、望んでいない道を進み続けることです。
自分が欲しかったものを、人にも渡したい
振り返ると、あの頃の自分が欲しかったのも、「この方法が正解です」と言ってくれる人ではなかったのかもしれません。
「そもそも、何を変えたいんだっけ」と、一度立ち止まらせてくれる別の視点だったのかもしれない。
そう考えると、今度は自分の外へ目が向きます。
私は、挑戦する人を応援したいのかもしれません。
そう書くと、急に立派な人みたいで少し落ち着きませんが😅
でも振り返ると、Substackを始めた人たちを一緒に盛り上げたいと思い、「We Are Substacker」という曲を作って記事で公開しました。
オンラインゲームでも、前に出て目立つ役より、仲間を支える役を選びがちです。
ゲームの中でも支援役。
なかなか筋金入りかもしれません🤔
もちろん、すべてが同じ理由から生まれたと言いたいわけではありません。
それでも、私は前に立って答えを決めるより、誰かが進むのを支える側を選ぶことが多かったのかもしれない。
では、私にとって「応援する」とは、具体的に何をすることなのだろう。
魚を釣る前に、「なぜ魚?」と聞く
よくある話に、
魚を釣ってあげるのではなく、魚の釣り方を教える。
というものがあります。
でも、私が気になるのは、そのもう一つ手前です。
そもそも、なんで魚を釣ろうとしていたんでしたっけ?
お腹を満たしたかったのなら、近くの木になっている実でもいいかもしれない。
もちろん、「じゃあ木の実が正解です」と言いたいわけではありません。
魚を食べたいのかもしれない。
釣ること自体を楽しみたいのかもしれない。
時間がかかっても、自分で魚を釣りたいのかもしれない。
木の実という別の可能性が見えたうえで、それでも魚を選ぶなら、それは本人の選択です。
私がしたい応援は、答えを決めることではなく、
「本当に魚しかないんでしたっけ?」
と、一度だけ景色を広げることなのかもしれません。
自分には選択肢があると気づける状態をつくる。
そして、その先の選択は本人に返す。
それが、私にとっての「レンズ」だった
魚しか見えていなかった景色に、木の実も見えるようにする。
私にとって、発信で別のレンズを一枚置くというのは、たぶんそういうことです。
私が書いている「週刊あるとレンズ」という名前にも、今はそんな意味を重ねて見ています。
実は、監査も似た仕事だった
そう考えると、本業の監査にも通じるものがあります。
財務諸表監査は、投資家が損をしないように、正しい投資先を教えるためのものではありません。
信頼できる情報を得られないことから投資家を守り、その情報をもとに、投資家自身が判断できる状態を支える。
少なくとも私は、そこに監査の大切な役割があると考えています。
答えを代わりに決めるのではなく、本人が判断できる状態を支える。
振り返ってみると、この考え方は発信だけに突然現れたものではなかったようです。
レンズを、自分で使えるところまで
無料の記事では、
「こう見ることもできるかもしれません。」
と、別の見方を置く。
有料コンテンツでは、そのレンズを自分の状況で使えるところまで、見方や問い、仕組みとして届ける。
私の正解を渡すためではありません。
読む人が、自分で考え、自分で選ぶためです。
その結果、「これしかない」と思っていたものを一度見直し、自分で納得して時間を使える場面が少し増える。
今のところ、私はそんなものを届けたいと思っています。
また、時間の話に戻る
私が大切にしたいのは、すべてを最短で終わらせることではありません。
限られた時間を何に使うのかを、自分で考え、自分で選ぶこと。
別の道も見えたうえで、自分が納得できる道を選ぶこと。
違うと思ったら、考え直して選び直すこと。
そして、もし誰かが「この道しかない」と思っているなら、
「別の景色もあるかもしれません。」
と、レンズを一枚置く。
そこから先の時間は、読む人のものです。




僕も遠回りばかりの人生なのですが、それもよしと思っています!
自分のこと不器用だなぁと思うんですよね。
わぁ✨あるとさん⭐︎めちゃくちゃ共感です❣️正しさより自分から見える世界🌍自分のレンズを大切にする✨とっても素敵な投稿をありがとうございます🤲また色々教えて下さいね😊✨🍀